家に防音室があれば良いのに…と、毎日思ってます。
思いのままに声を出して歌える環境って良いですよねー!ほんと、憧れる。
今は防音室が無いのでカラオケに行くわけですが。
最近はフレデリックの『ジャンキー』を歌いたい気分。
この曲はいつ聴いても最高だけどね!
「ハンドメイドはまだやってる?」とか
「ハンディファン使ってる?」とか
言われやすい私。
マジで飽きやすいんですよねー。
「飽きやすい」を良い表現に言い替えるとなんて表現できるのかなー。
「柔軟性がある(ありすぎる?)」とか、「適応が早い(早すぎる?)」とか?
そんな自分の飽き性を認め、受けいれてるこの頃😆
歌詞に「飽き飽きです」って言葉がでてくるフレデリックの『ジャンキー』!
でも、この歌のなかで出てくる「飽き飽きです」は、承認欲求を求めている自分自身とか、周りの人とか、なんなら日本人とかに飽き飽きしているの「飽き飽き」。
生きていれば誰もがいつかは知るであろう承認欲求への「飽き」を歌っている。
個人的には「承認欲求を得ようとしている自分」に気づいてるなら、それで十分だと思う。
自分で自分を認めてあげるなら、周りに認められる必要がなくなることもあると思うから。
とはいえ、群れで生きる人間。承認欲求をゼロにすることは不可能な気がする。
ゼロにするなら、人間関係は断たないといけないのではないかと思うから。コミュニケーションをゼロにしないといけないんじゃないかなあ。
価値観が統一されているわけじゃないのでね。みんなが個々を認め合える世界というわけでもない。
おそらく「承認欲求」はジャンキーな食べ物のようにジャンキーなんじゃないかと。
賞賛を得たいという感情と似ているかもしれないね。
味を知ると、もう一度味わいたい…と「賞賛を得たい!」「承認されたい!」と永遠に求め続けてしまうのかもしれない。
求めることをやめる必要があるかもしれないし、ずっと求め続けるという選択もあるし。
求め続けるなら、それはそれで、自身の承認欲求に振り回されることにもなる。
求め続ける人が、求められる人に振り回されることになる。求められる人の言葉に、評価に自身をゆだねているから。
仕事で、相談の電話を受けることがある。
その大半は、「私の考えって、これで良いよね?」「私、間違ってないよね?」ということを、かなり遠まわしに伝えてくる。要は受容されたい。
自分で自分にOKをだしてあげれたら良いのだろうが、難しいときもある。
自分で決めても良いことなのに、他人にOKをもらわないと不安で仕方ない人は、たぶん支配的な環境で育ってきてしまったのかもしれない。不安から抜け出すために、自分で自分にOKをだす練習に他者が付き合わされることもあるだろう。
少しずつ、少しずつ、自分が自分を大切にして、認めてあげられたら素敵なことだと個人的には思う。そのときに、自分が本当に選びたい選択肢がわかってくるのではないかと思う。不安もだんだんと消化されていくんじゃないかと思う。
時代の価値観のせいでもない、周りの評価が気になるからでもない、環境のせいでもない…。
自分が進みたい道をきっと選べる。
そんなことを考えるきっかけをくれる歌『ジャンキー』
歌いたーい!!
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