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命に嫌われている。/カンザキイオリ

音楽

気ままにブログを書いています。トマさんです。

深夜、独りでイヤホンから音が漏れるぐらいにボリュームを大きくして
音楽を聴くことが大好きです。

「あ、この曲5~6年前ぐらいにハマっていた歌だったな」という歌が偶然ながれてきて、久しぶりに聴きました。

命に嫌われている』カンザキイオリさん作詞作曲の歌です。
私はmajikoさんが歌っているのが好き。

小さいころから、恋愛のことを歌っている歌よりも、応援ソングとか、哲学っぽい詞の歌が好きでした。今でも、そういう傾向。

この歌は、共感できる歌だったな。
伝えたいことがストレートな感じだし、でも、オシャレな感じな歌詞が好き。
YouTubeで流行っていたころに、私も知ってハマった歌。

「生きること」に価値があるのか無いのか…たぶん、それを決めるのは自分次第なんだろう。
「生きること」に対しての「自分の評価」なんじゃないのかな。

だから、生かされている時間を価値あるものにすることは大事だと思う。
生きている意味なんて正直分からないけど、でも、生きているから、どうせなら笑って生きようって思う。

ゆえに、楽しい時間を一緒に過ごした人が死んでしまったとき、とても悲しい。
「一緒に笑ったあの時間を、ともに過ごしたあの人が死んでしまった。今後、あの人とともに楽しい時間を生み出すことができない」という寂しさが生じるような気がする。

先日、幼い頃とてもお世話になった方が亡くなった。めちゃくちゃ可愛がってもらった人だった。
そういうときに、この歌にもう一度巡り合ったのは、なにか考えさせられる。

生きることに価値を見出せないとき、命に嫌われていると感じてしまうときもあるだろう。
命に嫌われているから、生きることも諦めようと考えることもあるかもしれない。
生きることに価値を見出せないとき、歌詞にもあるけど、「生まれた環境ばかり憎んで 簡単に過去ばかり呪う」ほうが楽なのかもしれない。過去を呪って、価値を見出す選択をしないことのほうが楽なときもあるかもしれない。私も生まれた環境を呪い、過去ばかり呪ったこともあったなあ。

そういうときもあるんだけど、それに自分が縛られる必要もない。
今、この瞬間から、自分を大切にできることを選ぶこともできる。生まれた環境を呪うよりも、これからの楽しみとか、自分がわくわくすることを選びつかんでいくこともできる。
それを積み重ねていくと、たぶん、自分の命を大切にすることができるような気がする。
自分に与えられている時間に価値を見出し、大切にできるような気がする。

きっと、生きることに意味を見出す必要はないと思う。
ただ、夢中になることとか、熱中することとかを知って、それをし続けたら、結果的に「命があって良かった」と思えるんじゃないかと思う。

この世界には、素敵な歌がたくさんある。
リズム、音、ことばで自分の五感を喜ばせてあげたい。
五感をよろこばすことは生きる喜びの一つじゃないかなと思っている今日この頃。

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